子が死んで楽になってしまったhttps://anond.hatelabo.jp/20220327100332
という記事を読んで、思うところがあったので書く。
私は発達障害であるため、それはそれは出来損ないの子どもだった。2歳児の時点で、他の子どもと比較してダメの権化であった。靴を揃えて靴箱に入れることも、リトミックの時に音楽に合わせて踊ることもできない。
自殺した私の母は、私が高校を卒業したぐらいから毎日、私がいかにダメな子どもだったか私に言って聞かせるようになった。
まさにこの本文にある通り、走り回り叫び食事を食べず他所様の子どもと喧嘩する子ガチャ大ハズレの子どもであった。
私なんかいつ「目を離して」殺されてもおかしくなかった。ただ、当時は発達障害という概念が世の中に浸透していなかったために、たまたま偶然、殺されなかっただけなのだ。
私はいつも、私なんかいない方がいいな、と思っている。脳の真ん中に「私なんかいない方がいい」という巨大な横断幕が張ってある感覚だ。最低でも1時間に1回は、私なんかいない方がいいと思考する。
お風呂で、シャンプーやトリートメントをしている時、顔や身体を洗っている時、そして、お風呂上がりにドライヤーで髪を乾かしている時に「私なんかいない方がいい」という言葉は、私の存在を押し潰さんばかりに大きく激しくなる。
私はお風呂とドライヤーが苦手だ。自己否定を止められないから。
ただ、この記事へのブコメにも書いたように、お前なんか死ねと言われると素直に死ねず、妙な反抗心が湧いてきて生きようとしてしまうのだ。
たぶん私は底辺のまま、この先もしぶとく生きていくのだろう。