blue-hydrangea-drops’s diary

発達障害(自閉スペクトラム症・ADHD)と双極性障害Ⅱ型の人が生きようとするブログ。

愛知県に行きたい

 今朝、中学生の時の夢を見て飛び起きた。

 中学生の時、私は無駄に偏差値の高いバリバリの進学校に通っていたので、ゲームやインターネットを禁止されていた。しかし、私はある夜、小学校の時に買ってもらったゲームをこっそりやってしまった。すぐにバレて、両親にボコボコに殴られた。具体的には、父に押さえ付けられて、母に頭をグーでゴンゴンと何発も殴られた。

 殴られた後、私は自分の部屋の物を壊そうとした。でも、壊すのが可哀想でできなかった。なので代わりに、カッターナイフで自分の腕や脚を切り刻んだ。

(跡が残らないので、カッターナイフで良かった)

 翌朝、傷を見せるでも隠すでもなく朝ご飯のパンをもぐもぐと食べていると、両親が傷に気付いて大笑いした。

「見ろよ。あの厨二病。自分が可哀想だとでも思ってんのかね、受ける」

 心配してくれるなんて期待は全くしていなかったけど、さすがに喜ばれるとは思ってなかった。アホらしくなって、それ以降リスカ系の行為はしなくなった。……という夢だった。

 ちなみに、中学校の担任にこの話をしたら「リスカを止めてくれるなんて、なんて素晴らしいご両親なんでしょう!感謝しなきゃね!」とうっとりして勝手に感動していた。話が通じない人間だった。

 父のことは、憎いと思わないようにがんばってきたのだが、今朝この夢を見て憎しみが爆発してしまった。最近、父は機嫌がよく、とても親切にしてくれている。父への感謝と憎悪がぐじゃ〜と嫌な感じに混ざって苦しい。

 と、言う訳で、今は東京都に父と住んでいるのだが、愛知県に行きたい。愛知県では父方の祖母の家が空き家になっている。あそこに住めば家賃はただである。父は大学院に通っていて、東京都にいなければならないので、私を追いかけて来ることはできない。

 父には、勇気を出して直接話した。変な夢を見て、父のことを嫌いだと思ってしまった。罪悪感で死んでしまいたいので、しばらく別居したい、ということにしておいた。(実際はそんな生ぬるいもんじゃないけど)なんとか許可を取った。

 東京都の医者、東京都の相談支援専門員、東京都の作業所の職員には、許可を取った。

 あとは愛知県の医者だけだ。

誕生日だった

 ご無沙汰しています。

 今日は私の誕生日だった。2人だけ、古いネットの友達から連絡が来て、誕生日を祝ってくれた。ありがたい。

 体調は相変わらず悪い。体調が悪いのが4か月も続いている。B型作業所に通うのがつらくてたまらない。これから、どんどん具合が悪くなって、寝たきりになって死ぬんじゃないかと不安である。

 B型作業所で今やってる作業は主に2つ。名簿のデータ入力と、動画の製作。

 名簿は、エクセルに書かれた名前や住所を、スプレッドシートという、ブラウザ上のエクセルみたいなものに貼り付けて作る。しかし、データの切れ目がエクセルとスプレッドシートとで異なるので、非常にやりにくい。例えば、「山田一郎」を「山田」「一郎」で分けて貼り付ける感じだ。本当はキーボードでガーッと打ってしまいたいのだが、それをやると契約違反で作業所をクビになってしまう。

 動画は、不動産屋が提供してきた動画素材に、不動産屋が提供してきたキャッチコピーを付けて作るのだが、動画とキャッチコピーが全然一致しておらず、ろくなものが作れない。既に4回のやり直しを食らっている。職員に「もっとがんばって素材を活かして」と、足らぬ足らぬは工夫が足らぬと言わんばかりに言われる。つらい。

明日も電車に50分立って乗って、作業所に行かなければならない。憂鬱だ。

体調が良くならない。親からの自立どころか、作業所に通い続けるのも難しいぐらいに体調が悪い。だるい。苦しい。

精神の調子は悪いが、作業所には通えている

 また、作業所に通っている。6月に入ってから、平日はほとんど毎日、作業所に通っている。6月3日金曜日だけ、精神科の予約が午前しか空いていなかったため、仕方なく休んだ。
 作業所で作業するのは、10時から12時半の2時間半だ。本当は4時間はやりたいのだが、体力がなくてできない。情けない。
 作業内容は様々で、プラスチックメーカーから頼まれて、伝票をエクセルに打ち直したり、出版社から頼まれて、お寺やお坊さんの名前の本の原稿を電子化したりしている。他には、水道の業者から頼まれて営業用の電話番号を調べてリストを作ったりもしている。

 6月2日木曜日、精神の調子が悪く、本当に死にたかった。家に帰って自分の部屋に入ったら、涙がばーっと出てきた。死んでも何の解決にもならないのは、母親の自殺を見てよく知っているが、生きる苦痛を感じ続けるのが嫌だった。

 6月8日水曜日、朝、自殺した母親の幻覚?夢?を見た。
 私はベッドで横になっていたのだが、母親が、自分の部屋の天井と壁の境の辺りに、邪悪な笑みを浮かべながら貼り付いている。母親がふわーっと枕元に飛んできて、明瞭な声で私を罵る。そして、母親が私の上に覆い被さってのしかかってくる。冷たくて、とても重かった。やっとのことで母親を払い除けると、白いはずの天井と壁に、カラフルな幾何学模様が万華鏡のように現れる。必死に起き上がってベッドから抜け出たら、全部なくなっていた。
 こんなものを見たのに、その後でよく作業所に行けたものだと思う。医者曰く、最近炭酸リチウム(双極性障害の薬)を増やしているので、幻覚はその副作用かもしれないと言うことだった。

作業所に通えなくなった

 今週は作業所に通えていない。月曜日に休み、火曜日は通い、水曜日は遅刻し、という有様だったので、木曜日と金曜日は休ませてもらった。
 ベッドで長時間過ごしているのに、睡眠が取れず、朝起きられない。夜中に4〜5回、トイレに行きたくなって目が覚める。明け方頃、半分起きて半分寝ている状態になり、起きて作業所に行かなければと苦しんでいる内に、7時には起きなくてはいけないのに、9時になってしまう。身体が動かない。
 夢見も悪く、今朝も高校で教師から叱責され、生徒からいじめに遭う夢を見て起きた。
 眠りが浅く、夢見が悪く、昼に横になっても昼寝ができないので、いつも疲れ果てている。

 そのくせ、夕方になると、変なスイッチが入ってしまう。ダイエットしなきゃと言って、作業所の帰りに電車を降りて1駅分歩いたり、家事を片付けなきゃと言って数時間ぶっ通しで家事をしたりしてしまうのだ。

 金曜日に精神科に行った。ゆっくり休んでください。無理な運動とかしちゃいけませんよ。と言われた。
 それを父に伝えると露骨に嫌そうな顔をされた。父もダイエット中で、1人で運動をするのが嫌だから、私を付き合わせたいのだ。
 今日も片道30分かけて遠くの大きな公園に行くぞ、精神疾患なんだから運動しろ、などと言ってきて断るのに苦労した。なんとか断った。私は断るのが苦手な人間なので、それだけでものすごく疲れた。

 ダイエットも上手くいっていない。5月に入ってからは体重の減少が横ばいになって、せっかく2.4キロ痩せたのに、今週で1キロ太ってしまった。

生存報告

 なんだかんだでまだ生きている。

B型作業所

 私はB型作業所に通っている。1月から通い始めたから、今月で5か月目になる。(体験も含めると7か月目になる)平日は毎日、片道50分かけて通い、2〜4時間作業をしている。作業内容はパソコンでのデータ入力である。
 作業所はGWは休みでないので、私はGW中も平日はずっと作業をしていた。私達障害者に合わせて働かなければいけない職員さんは本当に大変だと思う。
 私は作業所に過剰適応していると思う。特に作業に関して。素早く正確にできていると褒められるけれど、死にものぐるいで、時にはモンスターエナジーを飲んでやっているので、家に帰るとへとへとで、最低限の家事をやる体力しか残っていない。作業所を卒業するには、安定して毎日7時間作業できるようにならないといけないので、自分でももっと落ち着いて作業した方がいいと思う。
 他の利用者とのコミュニケーションにも課題がある。B型作業所なので、常に奇声を上げていて会話ができない利用者が5人くらいいる。しかし問題はそこではなく、私と、比較的コミュニケーションが取れる利用者たちとの関係についてだ。職員さん曰く、私は他の利用者たちとの距離をいきなり縮めてしまっているらしい。確かに、私は寂しさから、うっかり同性の利用者にぺらぺらと余計なことを話してしまう時がある。同僚ともっと距離を取りなさい、そうしないと、就労しても人間関係で揉めて会社を辞めることになるよ、と警告されている。怖い。

ダイエット

 4月の半ばから本格的にダイエットを始めた。主に食事内容を変えるダイエットだ。あすけんというアプリに食事を記録してカロリー計算をして、1日の必要カロリーをはみ出さないように気を付けている。あすけんは優秀なアプリで、私が早く痩せようとして極端な食事制限をすると、キャラクターの未来(みき)さんというお姉さんが泣いてしまう。
 3週間で約2kg体重が減ったが、たぶん水分である。まだまだめちゃくちゃ太っている。以前医者に49kgまで痩せなさいと言われたから、あと約19kg痩せなければならない。道は遠いが、ゆっくりやるしかない。

「子が死んで楽になってしまった」を読んで

 子が死んで楽になってしまったhttps://anond.hatelabo.jp/20220327100332
 という記事を読んで、思うところがあったので書く。

 私は発達障害であるため、それはそれは出来損ないの子どもだった。2歳児の時点で、他の子どもと比較してダメの権化であった。靴を揃えて靴箱に入れることも、リトミックの時に音楽に合わせて踊ることもできない。
 自殺した私の母は、私が高校を卒業したぐらいから毎日、私がいかにダメな子どもだったか私に言って聞かせるようになった。
 まさにこの本文にある通り、走り回り叫び食事を食べず他所様の子どもと喧嘩する子ガチャ大ハズレの子どもであった。

 私なんかいつ「目を離して」殺されてもおかしくなかった。ただ、当時は発達障害という概念が世の中に浸透していなかったために、たまたま偶然、殺されなかっただけなのだ。

 私はいつも、私なんかいない方がいいな、と思っている。脳の真ん中に「私なんかいない方がいい」という巨大な横断幕が張ってある感覚だ。最低でも1時間に1回は、私なんかいない方がいいと思考する。
 お風呂で、シャンプーやトリートメントをしている時、顔や身体を洗っている時、そして、お風呂上がりにドライヤーで髪を乾かしている時に「私なんかいない方がいい」という言葉は、私の存在を押し潰さんばかりに大きく激しくなる。
 私はお風呂とドライヤーが苦手だ。自己否定を止められないから。

 ただ、この記事へのブコメにも書いたように、お前なんか死ねと言われると素直に死ねず、妙な反抗心が湧いてきて生きようとしてしまうのだ。

たぶん私は底辺のまま、この先もしぶとく生きていくのだろう。